女子W杯2011・日本代表優勝

まことにまことにめでたい。のだが。

2006年と何も変わっていない。

2006年6月26日の日記

何が変わっていないか。

勝敗の帰趨が精神的なものによって決まったと考えられていること。

日本代表のメンタリティが非常に高いレベルにあったこと、それに震災を含むいろいろなこと(選手は先輩からの継承も強調していた)が影響を及ぼしていたことについては特に否定するものではない。だけれども、「個の力で圧倒的に劣っていた日本代表が執念で勝ち取った優勝」という物語には承服しかねるところがある。物語ではなく、サッカーを見る方が重要だと思うのだが、これは人それぞれなので仕方ない部分もあるとは思うが。

試合はアメリカが先手を取った。前日までの舌戦の効果があったかどうかはわからないが、日本はアメリカに対して受ける形で試合に入ってしまった感がある。推測の域を出ないが、日本のディフェンスは基本的にアメリカの「高さ」を中心に警戒していたのだと思う。しかしアメリカは単純に高さを生かすために放り込むわけではなく、両サイドの「速さ」を生かすように、激しくプレスをかけてボールを奪い、サイドに展開し、サイドからワンバックを狙ってクロスをあげるという方策をとった。日本側は、この速さを生かしたサイド攻撃を止められず、序盤の猛攻を招くこととなった。

ただ、日本のディフェンスはセットプレーも含めて、アメリカの高さにはしぶとく食らいついて得点を許さなかった。危うい場面の多くはサイドからの崩しによるものだったように思う。アメリカは何度もバーやポストに当てていたが、たぶん一点取れていたとしても、その時点ですっと引くような形になって、日本に主導権が渡る時間は増えていたと思う。

アメリカが序盤に見せたようなプレスは90分は続かない。前半の半ばあたりから日本がボールを持ってリズムを作る場面が多くなる。しかし前半の間はFWに対するくさびがなかなか通らず、決定機もほとんど見られなかった。

後半も同じような展開だったが、アメリカが後半頭から投入した快足FWへのカウンター一発で先制される。やはり日本デフェンスは高さではなく速さにやられることとなった。日本が永里と丸山を入れて点を取る構えを鮮明にした後の出来事だったが、その二人からこぼれてアメリカのDFが処理をミスったボールが宮間の足下へ。同点に追いつくことになる。ラッキーゴールではあるが、アメリカDFの持久力と技術のなさが露呈した場面であるとも言えるだろう。いつ起こってもおかしくない場面だったと思う。

延長に入ってからも展開は変わらず、ワンバックのゴールはヘディングだったが、サイド突破と位置取りの勝利であって、ワンバックはジャンプすらしていない。澤のゴールこそはミラクルと言っていいと思う。「ニアに」という合意はあったにせよ、あの場面で勢いを殺さずゴールに流し込むのは素晴らしい集中力。PKで負けてもMVPをあげたいくらいの価値のあるゴールだった。

試合全体を通した印象は、日本は苦戦した、ということ。アメリカはほぼやりたいようにゲームを展開し、日本は多くの時間帯でそれができなかった。僕はこれは戦略的な敗北、すなわち監督の敗北だと思う。アメリカの試合への臨み方が一枚上手だったという。それでも日本は集中力を切らさず相手の高さをなんとか封じ、追いつける点数に抑えた。特に、センターバックの二人とボランチの二人の働きは大きかったと思う。

日本は選手交代でも後手を踏み、また途中交代した選手を延長でまた交代させるといったちぐはぐな起用となった。

この状況で日本がなんとかしのいでPK戦をものにしたのであるから、日本の選手の個の能力が低いとはとうてい言えない。日本の選手の個の能力が発揮しにくいゲームだったのにもかかわらず、二点をとって引き分けに持ち込んだことは、もう少し強調されていいと思う。

まあ正直サッカーはもっぱら観戦しかしないので間違いや不見識もあるかとは思いますが、以上が僕の見た決勝戦でした。

追記:2006年のドイツで中田英寿カップを掲げるところが見たかったなあ、という感傷が、澤がカップを掲げた瞬間によぎりました。人生もサッカーもいろいろ紙一重なんだろうなと思いました。