小泉の会見

靖国に関する意見はともかくとして(僕は靖国問題自体にはほとんど興味がありません)、なんだかんだいって小泉の会見は「面白い」です。幸い、文明の発展により異国の地からも映像にアクセスできるようになり、ダイヤルアップで長時間待ちながらも見ることができました。

彼のこれまでの政策について評価するのは(評価するにせよ批判するにせよ)時期尚早だと思いますが、彼の「テレビ会見力」はおそらく50年に一人クラスの超人だと思います。人々が彼の考えを自分のものとしているのか、あるいは彼が人々の考えを自分のものとしているのか、それはなかなか難しいですが、やはり今回の会見における「中韓批判」「マスコミ批判」は小泉政権下の時代の空気を反映したものでしょう。偉い人、ましてや実際に政治を動かしている人が自分の考えていることと同じことを公の場で言う、というのは単純に嬉しいことだと思います。そしてそれをハッキリした言葉で、当たり前のように、毅然とした態度で言う。わかっていてもなかなかできることではないと思います。日本人としては稀なメンタリティを持った人物でしょう。

(何度も繰り返しますが)政策は別として、この数年間は完全に小泉の一人勝ち(自民ではなく)でしたし、小泉の後継者に同じことができるとは到底思えません。正直なところ、この希有なパフォーマー、エンターテイナーが引退してしまうということに関しては残念に思います。

追記:上記の文章に皮肉はありません。政治家が良きパフォーマーでなければならないのは、古今東西に共通するものだと思います。そういう意味では、僕は小泉のことを非常に高く評価しています。

追記2:まともなブックマークコメントが付けられるのは初めてだと思うのですが、

中韓批判」「マスコミ批判」→自分の考えていることと同じことを公の場で言う、というのは単純に嬉しいこと → ようは大衆迎合。政治家としては最低の行為。

というコメントがid:kechackさんから付けられていました。

大衆迎合」といえばまあその通りで、それ自体に異論はないです(まあ言い方次第で「人々の意をよく汲む」とも言えると思いますし、逆に小泉が人々の考えを誘導している可能性も念頭に置いて書いていますが。ここのあたりの主体/客体の話は難しいので)。

問題はそれを「政治家としては最低の行為」と断じてしまうべきかどうかだと思います。民主制においては、そのそもそもの目的が一般の人々の意見を政治に反映させるというものなので、人々の意に沿わない代表者は原理的には排除されていきますし、自然と代表者は人々の考えを代弁するものになるようにできています(少なくとも理念的には)。「大衆迎合とそのような民主制の話は別だ」と考えることもできますが、それは個々の人物や政策に対する、個人個人の価値判断であり、本質的な違いはないと思います。そういう価値判断は現実には非常に重要なものだとは思いますが、ここで言いたかったのはそういうことではなく、「小泉はそれを上手くやる力があり、それは稀なものである」ということです。僕の考えでは、それは政治家にとって大きな力であり、良い方向に使われているかどうかは別にしても、「能力」として評価すべきものだと思います。

まあもちろん、上手くタイミングが合ったという事情はあるでしょうが、それだけでないのは確かだと思います。