東野圭吾『容疑者Xの献身』(ISBN:4163238603)

これも余勢を駆って読了。直木賞受賞作である、数々のミステリベストテンで一位を取っているとのことで期待感が大きかったからか、若干物足りなかったという印象。

(以下ネタバレあり。またこの作品を読んで感動した人の気分を害する恐れがあるので、感動を害されたくない方にはおすすめしません)















読んでいて、初めの元亭主のくだりあたりでは花岡靖子に同情的だったが、読み終わったときには、この人は不幸になるべくしてなったのだ、と思い直した。p.337の彼女の心情を描いた文章に「こんなにも愛してくれる人がたくさんいるのに、なぜ自分は幸せになれないのかと虚しかった」というのがあるが、答えは簡単で「大事なところの判断がことごとく間違っているから」である。あまり話題に上らないが、まず彼女は最初の結婚に失敗している。それは仕方ないかもしれないが、にもかかわらず二度目の結婚でも富樫というハズレを引いている。その富樫との関係もうまく清算しきれていない。その富樫を絞め殺したことについては仕方がないとも言える。娘が殺されると思ったならばそれは正当防衛でもある。ただし石神に事後処理を任せたのは完全に判断ミス。なによりこの時点で彼女は石神についてほとんど何も知らない。彼が富樫よりたちが悪い脅迫者になりうる(実際にはそうではなかったが)というリスクを負うのは危険きわまりない。最後に、自白したこと。石神のしたことを無に帰す暴挙である。彼に感謝しているのであれば、話して楽になりたいという衝動を押し殺して、彼の願ったことを成就させるべきだろう。随所で判断を間違っている。だから幸せになれなかったのである。もちろん運もなかっただろうし、同様の判断をして幸せになれる人も中にはいるだろうが、運命を責められるほどには正しい選択ができているとは思えない。非情な言い方だとは思うが。

それを踏まえた上で、湯川が靖子に真実を告げた意味を推測してみると中々に凄惨である。僕には彼が「この女は君が自由を賭けてまで救う価値のある存在ではない」ということを伝えたかったのではなかろうか、というふうに読めてしまう(彼は実際には靖子が自白することをある程度予測していたのではないかと思われる)。さらにその上で最後の場面(p.350)での湯川の台詞を見てみる。

「その頭脳を……その素晴らしい頭脳を、そんなことに使わねばならなかったのは、とても残念だ。非常に悲しい。この世に二人といない、僕の好敵手を永遠に失ったことも」

(強調は評者)

残念なのである。そんなことに使わ「ねば」ならなかったことが残念なのである。

外面的な感情表現が乏しかった石神であるが、最後に靖子が自首したことを知らされて激しく泣く。しかし「泣く」という激しい感情表現が、それまでのことを過去のものとして区切りを付ける契機となることもある。あるいは湯川はそのような効果で、「本来の」「彼が望む」石神が再び戻ってくることを期待したのではないかと想像できる。そもそも湯川が石神を疑い始めたのは、石神が頭髪を気にする様子が湯川の記憶の中の石神と合致しない(pp.109、311-312)ということでもあった。また、彼が靖子に真実を告げる理由を「には耐えられない」(p.322、332)と表現していることも示唆的である。

もちろん作者がこのように読まれることを意図して書いたとは思われないし、この読みが成立するかどうかについても大いに異論の余地はある(作者が上記の読みを意図して書いたのならば僕の中での評価は鰻登りだがそうならばもう少しわかりやすく書くと思う)。しかし良質なテクストは多様な読みを誘発するという要素を持つ物も少なくない。その意味ではこの本も十分に評価に値する作品といえるのかもしれない。

追記:まあ正直妄想による読みすぎだと思いますが、なぜ湯川が真実を告げなければならなかったかを考えていくと、通常の解釈ではどうもうまく腑に落ちないのです。識者の意見を歓迎いたします。