『φは壊れたね』

再読はしていないが今一瞬思ったことを。この作品は『すべてがFになる』のセルフパロディという読み方もできるかと。表題となっている意味不明な言葉、監視カメラになにもうつってない密室という点でも共通しており、おそらく探せばもっと共通点も見つかるのではないかと。

唯一明確に違う点と感じるのは今回の探偵役がまったく事件に巻き込まれないこと。常に外部にいて外部から事件を眺めるだけ。まあ眺めるというか一瞥するという方が正しいかもしれない。これは多分(西之園萌絵抜きの)犀川の本来あるべきとする姿なのだと思う。まあ今回は犀川もそういう役回りになっているが。

まあ誰か同じようなこと言ってるとは思いますが自分が次作以降を読むときの指針として残しておきます。