市川伸一『考えることの科学』(ISBN:412101345X)

読了。これより後に書かれた類書である『行動経済学』を読んでいたこともあり、知っているトピックも多かったのですが、面白かったのは「総意誤認効果」というものの話。

社会心理学では、他者の態度の分布を自分の態度に引き寄せて推測してしまうことを、総意誤認効果(false consensus effect)と呼んでいる。たとえば、タバコが好きな人は、タバコが嫌いな人に比べて、より多くの人間がタバコ好きと推測しやすい。注意していただきたいのは、必ずしも「タバコ好きが過半数いる」と判断するわけではないし、本当のタバコ好きの人口よりも高い見積もりをするということでもないことだ。タバコ好きの推定する「タバコ好き人口」の値が、タバコ嫌いの推定する「タバコ好き人口」の値よりも大きくなるということである。

いかにも、よくありそうな話なので、自分の講義で実験してみたことがある。私は講義の出欠をとって成績に加味するかどうかを、年度の初めに学生の多数決で決めることがよくあった。そのとき一度「全体で何パーセントくらいの人が、出欠をとることに賛成すると思うか」を推定してもらったのである。結果はやはり、自分は賛成という人たちの推定する「賛成率」の平均が、自分は反対という人たちの推定する「賛成率」の平均を大きく上回っていた。反対者の回答用紙には、ていねいにも「ゼロ・パーセントに決まっている。賛成するやつがいるはずがない」と書いてあるものもあった。

実際の賛成率がどうであったかという集計を学生に見せると、かなり騒然となる。読者の方々は、どれくらいの学生が出欠をとってほしいというと言うと推測するだろうか。その講義ではもとより、私がこれまで30回くらい行った採決の中で、出欠をとることが否決されたことは、たったの二回しかないのである。多いときには、九割以上の学生が出欠をとることに賛成する。

(中略)

さて、本題に戻ると、社会的な関係の中での推論というのは、さまざまなバイアスをもっている。こうしたバイアスが生まれるのは、私たち人間が、基本的に自分の自尊感情を満たしたいと思っているからではないだろうか。私たちは自分が愚かであるとは思いたくない。自分の意見が正しいという傍証の一つは、それがより多くの人々に支持されていると言うことだ。あるいは、権威ある人が同じ意見を持っているということだ。だから、私たちはつい同じ態度をもった人とつきあうようになるし、新聞や雑誌で自分の意見に近い論説のほうを好んで読むようになる。こうなるとますます世の中の意見は自分に近いと思いこんでしまう。(pp.167-169)

まあ自戒を込めてなんですが、特にウェブは自分で選択する部分が大きいので、基本的に自分の好きなものしか見なくなり、逆に視野がものすごく狭くなる弊害はあると思います。

あとどうでもいいことなんですが、やっぱり僕は「みんなそう言ってる」みたいなことを言う人のことを全く信用できないんですが、そんなに変な信条ではなかったのか、とも思いました。

追記:引用文中の間違いを修正。しかしなぜバイアスをアドバイスと間違えるか意味不明。しかも二回も。