『魔法少女まどか☆マギカ』

カテゴリがよくわかりませんが、一応テレビで。アニメです。全十二回。以前某君より頂いてそのまま見ていなかったのですが、最近おぎやはぎの深夜ラジオ『おぎやはぎのめがねびいき』で、矢作さんが見て感想を言っているのを聞いて、旅行帰りの休日に見てみました。

さすがに評判作だけあって引き込まれる作品でした。

ここから以下はネタバレ含みますので要注意。なお他の創作のネタバレも含むかもしれませんのであしからず。(以下二十行分の改行あり)





















さて。

オチは悪くはないけどベストではない、少なくとも好みではない、という感想。まあ違うと言えば違うのだけれども、ラストの感触はJOJOの第六部が想起された。「僕の名前はエンポリオです」的な。

やはり思ってしまうのはこれが「14歳の物語」である、ということ。主役級の人物たちはすべて中学生。こういってはなんだけど、世界を背負って戦うには知恵も経験もなさすぎる。本質的に善意の人たちではあるが、「すすどさ」というものが決定的にかけている。エヴァンゲリオンでもそうだったけれど、もう少しやりようがあるだろうと。でも世界を変えるにはやはり無知で無謀な若者が必要なわけで、その点まあいろいろ含むべきところはあろうけれども。

ひとつ気になるのはなぜキュウベイ(あるいはその背後にいる文明の生命体)が、怒りや妬み、絶望といった負の感情(によって相転移が起こる際に発生するエネルギー)をエネルギー源としたのか。そこには作中に描かれているように破壊が伴うので、最終的にはあまり効率は良くないように思われる。ポジティブな感情をエネルギーに変換することが可能なら、そちらの方が長期的に見ると持続的なエネルギー供給が生まれるだろうし、エネルギー源との関係もまだ幾分かは良好になろう。まあこれはその文明の技術的な限界(核分裂核融合的な)かもしれず、それが語られなかっただけかもしれないが。

しかしだとすると一方の主人公であるまどかが取った以外の結末も十分ありえたはずで、自らを犠牲にする方法しか考えだせなかったことにはやはり限界を感じてしまう(一ヶ月ないくらいでことが起こっているという制約は確かに大きいが)。

キャラクター的にはほむら。彼女がいなければこういう形の物語は成り立たないという意味で彼女も主人公だと言っていいと思うが、もう何回かトライしてみてもよかったんじゃないかと。現在の時点であれだけのことがまどかにできたのだから、もう何周かしたら真に十全な解決が可能なだけの魔力が備わったんじゃないかなあ、と。まあアイディアの問題もあるのでアレだけれど、そしてほむら自身のこれまでの環境の問題もあるので仕方ないとは思うけれど、残念なところは多い。

あとはまあストーリーから完全に男性が排除されているという点をどう見るか。これは推測ではずれてるかもしれないけど、キュウベイの存在がいわゆる「男性的な論理」を象徴しているとも想像できる。まあジェンダー的にどうなのかはよくわからないけど。

異世界の絵とか音楽とかの雰囲気も含めて非常に良くできた作品ではあるでしょう。ストーリーとしても、全部また見終わった後に第一話を見ると相当来るものがあるし。様々な要素が詰まった良作というまとめで。

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結局僕はハッピーエンドの物語が好きなんだなあ、と。やっぱりフィクションの世界でくらいは悲しい結末ではないものを見たいと思います。

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しかしここを見る人の中にこの作品を見た人っているのかね?